フルーツ説教

最近世間で話題のトピックがいくつかあるけど、どれを見ても正義側の勢いが過剰で怖い。例えば容姿に対する中傷とかさあ。そういった類の悪口って特定の容姿や性質に対する偏見の再生産にしかならない。仲間がたくさんいるから調子に乗ってるだけのただの鬱憤晴らしの癖に偉そうにみんな説教をしている。仲間がたくさんいるから調子に乗れている。それが気持ち良いから罪を起点に容姿を悪く言うという飛躍を認識した上で意図的に鈍感になっている。叱られている側の罪がきっかけだとしても正義が気持ち良すぎて一線を超えている方々の方が見ていて気持ちが悪いし自分が徒に叱られて気持ちよく消費される側に回ることはないと思えているのもすごい。自分はいつか絶対に回転寿司の醤油を舐めてしまうと確信しているので過剰に怒られている人を見ると怖くなる。説教をできるってある種の能力だ。自分の不快さをきっかけに規範的な言説を導く独自の強引さがある。多分大学で説教の授業を受けてたとか、独学でそういう資格とかを取っているとかなんでしょう。過剰な説教や中傷をしている人を見ると「そんなこと言っちゃダメだろ」というよりも「あ、それも言っていいんだ」と思う。自分もいつか中傷をやってみたい。みんなもやった方がいい。

 


   ̄ヽ、   _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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