フルーツ文学フリマ東京37

直後から書こう書こうと思っていて結局264時間くらい経ちましたが文学フリマの感想です。

なぜ今書いているかというと待ち合わせをしている友達が遅刻をしているからです。12時に待ち合わせていたのに12時16分に「家を出た」と連絡が来た。「おせー!」と返したら「こんないい天気だしね」と返ってきた。遅刻する側の態度として適切だと思う。

文学フリマ。今回が初めての出店だったけどかなり楽しかった。楽しいと満足が両立している。イベント中はアー楽しい楽しい楽しい楽しい!という感じであっという間に終了時間になった。自分は何かしらの創作で身を立てている人間では無いので、ブースを持つみたいな経験をすることが年に1回か2回くらいしかなく、この類の楽しさが他のイベントに上書きされないので、ずっと余韻が残る。来年の正月とかになっても今回の文学フリマの話をしていると思う。

まずはブースに来てくれた友達、フォロワーのみなさんありがとう(と言わせてください)。普段から会っている友達が来てくれたのはもちろん嬉しかったし、あとインターネットを利用していると存在は認知しているけどきっかけがなく会うには至らないという関係がどうしても多くなるので、そういう人たちと直接コミュニケーションを取るきっかけになったのも良かった。互いに存在は知っているけど私に特段興味とかないだろうなあ~と思っていた人が買いに来てくれると非常に承認欲求が満たされ健康に良い。なんなら事前にブースに行くことを予告してくれていた人に対しても(えー!来てくれたんですか)と本心から思う。中には私の本を購入することを目的に文学フリマに来てくれた人もいて、私の本に100円を支払ったことがその人の家計を圧迫していなければいいなと思う。

一方で私の存在を知らない中でブースに来てくれた人もいた。どうして来てくれたんですか?と聞いたら「見本誌コーナーで読んで興味を持った」や「webカタログのエッセイカテゴリを眺めていて気になった」と教えてくれて嬉しかった。特に出店名(めっちゃおっきいお餅のもりもりぜんざい)や本のタイトル(中学生になったら部活とかにも挑戦してみたい)が面白かったから来ました、という人が何人もいたのがとても嬉しかった。自分が面白いと思って付けたタイトルが他者にとっても興味を引くものであると背中を押される気分になる。

初めて出店側として文学フリマに参加して、(これはかなり市場だ)と思った。つまり、無数の供給と無数の需要が同時に存在して売買がなされる場であり、一部有名な作家、ライター、歌人がいるとはいえ、来場者にとって多くの出店者は特に情報を持たない同質な存在である。経済学における市場は仮想的な概念というか、株式市場を別にすると実際に1つの場で多数の売買が同時に行われるという場は現実には滅多に存在しないわけだけど、あの日の東京流通センターはかなり市場的なシチュエーションになっており、興味深かった。その上で、タイトルや出店名をきっかけに無数の同質な商品の集合の中から自分の本を掬い上げてくれた人がいたことがすごく嬉しかった。無数の商品がある中で購入される商品として選ばれる背景には他の商品との差別化があるわけだけど、文学フリマの場合ある程度来場者が自主的に情報を収集する必要があるので、差別化を行う主体は出店者だがそれが実際的な効力を持つかどうかは来場者に依存する。エッセイという特に作者に関する情報を含めて選ぶことが一般的な極めて属人的な形式の中で、初見の人に選んでもらえるというのは光栄である。

会場では、有名なライターの人やお笑い芸人の人がその辺を普通に歩いており、私のミーハー心も十分に満たされた。大好きなウェブライターの人のブースに行ったら「前回〇〇くれた人ですよね?」と差し入れと紐付けて覚えてくれていて、コポコポ……(ミーハー心というマグカップに満足という名のホットミルクが注がれる音)。この後、そのライターの人が私のブースの近くを歩いていたので、ジッ……と見つめていたら気付いてくれて本を買ってくれた。半ば無理やり買わせたようになってしまったが、家計を圧迫していたら申し訳ない。

イベント後はDM経由で郵送購入をしてくれる人が想像以上にいた。これも嬉しい。最近、会った人に「ブログ読んでます」と言われる機会が何度があり毎回とても嬉しいのだが、webカタログから紹介文を読む、ブースに行く、郵送希望のDMを送る、リンクをクリックしてブログを読む、などの一手間を自分に対してかけてくれる人が一定数いるというのは本当に健康に良い。自分もコンテンツをチェックしている相手に対してチェックしていることや感想をちゃんと伝えようと思う。

 

文学フリマで乗った馬