フルーツ映画ライブ

『正欲』を観た。他人と映画を観るのって楽しいんだなと思う。一方でこの楽しさは極めて属人的だとも思う。例えば観た映画がつまらなかったとして、自分か相手かのどちらか、または両方が(自分はつまらなかったけど相手が面白いと思ってたらどうしよう)みたいなことを憂慮する人だったらやっぱり他人と映画を観るのは難しい。みんなどうしてるんでしょうか。本当に気が遣える人って僕がそういう態度を苦手だと思う傾向があると察して率直なフリをしてくれるのでしょうか。映画を観た後は映画に関する話ができた。映画にかこつけて自分の話をたくさんした。

他人に怒られたり他人と喧嘩をした時に言われたことをスマホのメモ帳に都度書き残すようにしている。メモ曰く、私は当時好きだった人に「「満足したから帰る」や「もう1ヶ月会わなくていい」と言ったのは、あなたがそういう女の子が好きだからと思ったから演じただけ」と言われている。実際、2人で会っている時に「もう満足したから帰るね~」と言って本当に帰っちゃうようなところが好きだったので、これはまんまと、だ。ただ波風を立てないことと気を遣うことが混同されていなくてすごい。自分が気を遣う気がないこととその人にひどく気を遣わせていたことを理由に仲が悪くなった。「あなたは友達に対して偶然気が合うのだと思うのだろうけど、周りが気を遣っているだけ」とも言われた。

映画を観ることに対して家事と同じようなハードルの高さがある。皿を洗ったり風呂に入ったりして後悔した経験がないのに毎回やる気が起きないのと同様に映画を観て後悔した経験も特にないのに何かきっかけがないと観られない。映画を観た後はまず「観れた~」という達成感がある。観切った、というのが近い。それとは別に『正欲』は個別の作品として観て良かったです。何か教訓があったとか面白かったというよりも感想を抱く代(しろ)があったので良かった。観た人がいたら話したい。自分の話をたくさんします。

映画を観た後は友達のバンドのライブに行った。音源とライブの印象が結構違って、自分はライブの方が好きだったので良い感じだった。オルゴールの箱を開いたら演奏が流れて閉じたら止まった、みたいなライブだった。1人すごくつまらなそうな顔で演奏しているメンバーがいて、そのつまらないっぽい態度の塩梅がよかった。自分が同じニュアンスの態度を取るとしたらどうしても「やってるな」という感じになると思うのでその調節が上手くてすごい。良いな~と思った直後に自分にはできないなと思う。時系列的はこうで、因果関係は逆。観客の中に文学フリマで僕の本を買ってくれた人が何人かいてそれぞれの戦略で褒めてくれたので喜んだ。みんな私を喜ばせるのが本当に上手い。そういう学校に通っていた。「周りが気を使っているだけ」と言われるのも仕方ない。

前日は電気グルーヴのライブに行っていた。ワンドリンクオーダーという制度を電気グルーヴのライブで初めて経験し、友達のライブではその経験が生かせた。アルコールは飲めるができる限り飲めないフリをしたい。電気のライブではオレンジジュースを飲み、友達のライブではトマトジュースを飲んだ。透明度の低い飲み物は透明度の低い味がする。←めっちゃ文フリにエッセイ出している人みたいな一文

↓これ生で聞きました

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口裂け女は歯磨き粉の消費が激しそう、と思ったが歯のサイズと本数は別に自分と変わらない。