フルーツ今

 

「いつやるか?今でしょ」というフレーズがある。

 

正確には「ジャいつやるか?今でしょ」である。

 

今日は「いつやるか?」と「今でしょ」の関係性に注目していく。「いつやるか?」で振りかぶってからの「今でしょ」。「いつやるか?」で勢いを付け、また相手を揺さぶった上での「今でしょ」。

 

「いつやるか?」と「今でしょ」の間には速度の違いがある。当然「いつやるか?」が遅くて「今でしょ」が速い。後発の「今でしょ」が先発の「いつやるか?」に追い付くタイミングがある。「いつやるか?」が耳から入り脳に運搬され終わる時、同時に「今でしょ」も認識に到着する。

 

あくまで「いつやるか?」があっての「今でしょ」である。「今でしょ」の存在が「いつやるか?」の存在に依存する関係と言える。「いつやるか?」から切り離され独立した「今でしょ」は、まるでクロスボールを上げる味方がいないのにゴール前でヘディングの動作だけをしているような空虚さがある。

 

林修に「今でしょ」を言わせたい共演者は「いつやるんですか?」と問う。我々も普段の生活の中で冗談で「今でしょ」と言ってしまうことがあるが、これは自発的に言っているというよりも「いつやるか?」(またはそれに準ずるパス)に反応して「今でしょ」が発動してしまっているというのが正確である。メインが「今でしょ」というのを前提としても、「今でしょ」を執行する権限を握っているのはトリガーである「いつやるか?」であり、やはり「今でしょ」の存在は「いつやるか?」に強く依存している。

 

 

 

 

 

 

 

 

それに比べて「バキバキ童貞です」における「ご自身は?」の存在は軽視され過ぎていませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

インターバルなし(つきすすめ)